∞即是空 第1話 非等式

「この数学 I の教科書には

変数 x,y に対して x の値を定めると y の値がただ一つ定まるとき,yx の関数であるという.yx の関数であることを文字 f などを用いて y=f(x) と表す.関数 y=f(x) に対して x の値 a に対応して定まる y の値を f(a) と書く.

とある.なんかおかしくない?」

「え? どこらへんがですか?」

「この説明で f(x) という記号の定義がなされていると思うか?」

yx の関数であるとき y=f(x) と表すって言ってたじゃないですか」

「いや,よく読んで考えてくれよ.本来 A=B という記号は,AB が等しいという意味でそれ以外の何者でもない.ということは,y=f(x)yf(x) に等しいという意味の記号のはずだが,この教科書では『yx の関数である』という文の書き換えだと定義しているわけだ.ようするに,y=f(x) という記号は,左辺とか右辺とかそういう概念のない,それ自身で一つの固まりの記号を表していることになる」

「つまり…… y=f(x) は等式でない上に記号 f(x) の定義はまだなされていないということですか?」

「そうとしか俺にはとれないんだけど……」

「さすが変人……」

「いやいや,俺間違ったこと言ってるか? この教科書を読めばそうとしか解釈のしようがないと思うんだが.反論できるか?」

「うーん,そうですねえ.“y=f(x) と表す”っていう記述は,x の関数である yf(x) と表しましょう,っていう意味なんじゃないですか?」

「だったら最初から教科書にそう書けばいいじゃないか.くどいようだが A=B とは,AB に等しいという意味だ.A=B と書いて AB に等しいと読んでもよい.yx の関数であることを“yf(x) に等しい”という意味の記号である“y=f(x) ”で表すという書き方に俺は違和感を感じずにはいられないのだよ」

「違和感を感じるって重言ですよ」

「揚げ足をとるな」

「あ,揚げ足をとっているのは先輩じゃないですか.まあとにかく,先輩みたいな解釈をする人まで想定していなかったってことじゃないですか」

「このような等式に見える記号の羅列のことを俺は勝手に非等式と呼んでいる」

「あ,新しい!」

「他にも非等式はいくつか見られる.しかし,教科書を書いている人は等式のつもりで書いている気がしてならない.そして,f(x) という記号の定義が明確になされないまま教科書には

例1. 関数 f(x)=2x+1 について……

などと書かれているが,もはや論理的に破綻しているようにしか思えん」

f(a) の定義はちゃんとしてますよね.x の値 a に対応する y の値って」

「そうそう.値 a に対する f(a) は明言されているが,変数 x に対する f(x) は未定義と断言できる」

「高校数学以前って,文字 x と値 a に線引きをしている節がありますからね.正直,x=a を代入なんて書き方をしている時点で,xa も同等だと思うんですけど」

「よく分かっているじゃないの.そもそも変数 x ってなんだよ,という話になる」

「写像の定義に変数って言葉は必要ないですしね」

「文字と値を区別する高校数学の立場では,x の値 a に対応する y の値を f(a) と書くことができても,f(x) は値を表さない謎の存在だから,結局定義ができずにいる,と俺はみている」

「教職を目指しているわけではないのに学校教育について真剣に考えていますね.で,先輩はどう定義すれば納得するんですか?」

「耳の穴をかっぽじって聞けよ.x の値に対して y の値がただ一つ定まるとき,yx の関数であるという」

「それはほぼ同じですね」

x の関数を f などの文字を用いて f(x) と表す.x の関数 f(x) に対して,x の値 a に対する f(x) の値を f(a) と表すことにする.以上だ」

「なるほど」

「まず“x の関数”の定義をする.次に x の関数を f(x) などと表すとして記号の定義をする.こうすれば,y=f(x) はちゃんとした等式だし,yx の関数であることも普通に伝わる」

「確かに突っかからずに自然と解釈できそうですね」

「例を見てみよう.式 2x+1 において,x に値を代入していけば,ただ一つの値が定まる.よって 2x+1x の関数だから,f(x)=2x+1 という書き方が認められる」

「なんか言われるとそうした方がいい気がしてきました.結局先輩の主張をまとめると,既存の記号 A を新たな記号 B で表したいとき,AB と表す,というワンフレーズが欲しい,ってことですよね」

「そうね」

「だけど,教科書ではいきなり A=B と表すって書いてあるから違和感を覚えると」

「さすが俺の弟子だ.よく分かっているな」

「いやあ,面倒臭い人ってこういう人をいうんですよねー」

「なんとでも言え.客観視を追求した結果だ」

「そもそもですけど,関数は変数であるという立場よりも,xy に対応させる働きとか対応っていう立場の方が先輩好みかと思っていましたが」

「そりゃそうだ.ただ,今回のはあくまでこの教科書に対する突っ込みだからな.関数がなんたるかは色々あって俺も毎晩のように思うことがあるが,まだ結論が出ていないので後で考えることにする」

「へえ,珍しいですね.ちゃんとした持論があるのかと思いましたよ」

「突き詰めると,導関数 dydx すら意味のない記号になり兼ねないので模索しているところだ」

「普段から色々考えてますよねー」

「客観視を磨いてくると割とどうでもいいことも気になり始めるんだ.これがいいことなのか悪いことなのかは分からないが.よく杉下右京も暴走するからな」

「見習うべき部分もあると思いますよ.それにしても,なんで高校数学の教科書なんか見ているんですか?」

「談話室に高校数学の教科書が置いてあったから試しに読んでみたんだ.懐かしい気持ちにもなったが,現代数学とは大きく乖離している部分が目についてな.その部分に突っ込みを入れていこうと思ってさ」

「本当に意地悪いこと考えますね」

「別に俺は高校数学にけちをつけようとしているわけじゃない.お前は将来教員になるのだとしたら,ちゃんとした数学と高校数学のギャップについては少し心得ておいた方がいいと思ってだな」

「もしかして,私のためにやってくれているってことですか?」

「いや,ただの暇つぶしだ」

「なーんだ」

「でも,意外とここら辺に関してはお前も思うことがあるんじゃないのか?」

「まあ,確かに高校数学では物足りない部分とかありますからねえ」

「そういうわけで,この高校数学の教科書を一緒に読んでみようじゃないか! 題して,『ここが変だよ高校数学!』」

「とこかで聞いたことがあるようなフレーズですね」

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