∞即是空 第7話 コタンジェントに潜む穴

「コタンジェントって知ってるか?」

tan の逆数のことですよね」

「その一言だけで,危なさが伝わってくるなあ.よく cotx 1tanx のことだと説明されることが多いが……これは間違いだと思うんだよな」

「そうなんですか?」

「ヒントをやろう.高校生は暗記しているかもしれんが,微分してみると ( 1tanx)=- 1sin2x となる.この式にお前は違和感を……覚えない?」

「と,言われましても……」

「右辺には x=π/2 を代入することができるが,大元の関数 1/tanx にとって x=π/2 は定義域外だ.微分した関数の方が定義域が広いことになる」

「た,確かに! 妙ですね」

1/tanx を積分しても似たような現象は発生する.どうやるんだっけ?」

「これは基礎中の基礎ですね.分母を微分すると分子になるから  1tanx𝑑x=cosxsinx𝑑x=(sinx)sinx𝑑x=log|sinx|+C です」

「そうだな.この  1tanx𝑑x=log|sinx|+C において,右辺に x=π/2 は代入できるが左辺にはできない」

tanx が定義できない x に対して左辺は意味をなしませんね」

「そもそも 1/tanx の定義域はなんだ? 言ってみ.0x2π の範囲でいいから」

「えっと,x=0,π,2π のときは tanx=0 になるし,tan(π/2),tan(3π/2) は定義されていないので,0<x<π 2,π 2<x<π,π<x< 3π 2, 3π 2<x<2π でしょうか? 基本周期は π だと思いますけど」

「随分と穴だらけの定義域だよな.俺が思うに cotx の本当の定義は 1/tanx ではなく cotx:=cosxsinx だ.これなら cotπ 2=cos(π/2)sin(π/2)= 0 1=0cot 3π 2=cos(3π/2)sin(3π/2)= 0-1=0 というふうにちゃんと x=π/2,3π/2 のときにも値が定義され,その結果 cotx の定義域は 0<x<π,π<x<2π tanx と同等の穴加減になる」

「ははあ.cosxsinx, 1tanx は同じ関数にみえますが,定義域が異なるから関数として違うものですよね」

「そういうこと.だからこの定義で,cotx を微分するとき,(cotx)=( 1tanx) として微分しまうと x=π/2 などのときの微分係数を放棄してしまうことになる.だから,(cotx)=(cosxsinx) として,商の微分に持ち込むのが正しいやり方になるな」

「いやあ,深いですねえ.となると ( 1tanx)=- 1sin2x という公式自体は間違いではないけど (cosxsinx)=- 1sin2x とした方が,適切ってことですね」

「うん.俺は高校でその式を覚えろとは言われたが,教科書には公式として扱われていないみたいだね.例題として取り扱われている」

「あれ? となると教科書に載ってる公式  1sin2x𝑑x=- 1tanx+C も間違い,というより不十分ということになりませんか?」

「なる! よく気づいたな.1/sin2x0<x<π の範囲で定義されかつ連続だから,その不定積分は確かに存在する.しかし,右辺はその範囲において x=π/2 は除外された関数だ」

「これやばいかも.だって公式通りにのっとった π/4π/2 1sin2x𝑑x=[- 1tanx]π/4π/2 という計算が不能になりますものね」

「うん.cotx でやれば π/4π/2 1sin2x𝑑x=[-cotx]π/4π/2=-cotπ/2+cotπ/4=1-0=1 でちゃんと計算できる」

cotx をどうしても使いたくない立場なら,せめて  1sin2x𝑑x=-cosxsinx+C を公式にすべきですよね.急いで教科書会社に問い合わせた方がよくないですか? 図書券もらえるかもしれませんよ!」

「やるなら勝手にやってくれよ.お前の手柄でいいから」

「なんでそんな大っぴらにしようとしないんですか?」

「あえて伏せておいて,誰かがこのミスに気づいていない場面を見たら,心の中で『あいつ間違ってる』って嘲笑いたいんだよ」

「……先輩って本当に性格が歪んでますよね」

「そういうわけで  1tanx𝑑x=log|sinx|+C といった式もある意味で間違いだ.右辺の定義域から tanx が定義できない x,すなわち,x=π/2+nπ(n𝐙) で表されるものは除かなければならない.その一方で cotxdx=log|sinx|+C は正しい.左辺も右辺も x=nπ(n𝐙) 以外の x で定義された関数だから暗黙のルールが適用される」

「超細かい話ですけど,π/62π/3 1tanx𝑑x=[log|sinx|]π/62π/3=log3 2-log 1 2=log3=log3 2 という計算は意味がないことになりますよね」

「なる! 大元の定積分の被積分関数は x=π/2 で定義できないから,定義域を超えた範囲で積分しようとしているから,左辺は定義されていない式だ.-11 1x𝑑x という積分に意味がないのと同じだな.やはり定義というのは重要だ.一般的な教科書では,三角関数の定義は半径 r の円上の点 (x,y) に対して sinθ:=yr,cosθ:=xr,tanθ:=yx と定義される. そして,大学数学以上の多くの場合で cscθ:= 1sinθ,secθ:= 1cosθ,cotθ:= 1tanθ と定義される.一見,主要な三角関数を定義したあとで各々の逆数をとっているので体系的に見えるが……本来三角比とは,直角三角形の3辺の比のことであり,分子分母にどれを当てはめるかで 6 通りあるのは極めて必然.y/rx/ry/x に対して sin などの記号を与えているのに対し,なぜ r/xr/yx/y を考えないのかを疑問視すべきだった.というわけで,cscθ:=ry,secθ:=rx,cotθ:=xy と定義すべきだと思う.この定義より cotθ=cosθsinθ は定理になるな.すると,cosθ=0 となる θ に対しても cotθ は値をもつ」

tanθcotθ を最初からそう定義しても構わないですよね」

「人によってはそれを好む人もいるだろうね.定義が減るから」

コメントする